令和の由来となった万葉集の現代語訳は?梅の歌32首の意味・作者・背景も解説!

日々のこと

こんにちは!ちはやです。

新年度が始まった4月1日に新元号が発表されましたね!

平成も残り1ヶ月を切り、5月1日からは新元号の令和元年となります。

「令和」は万葉集からの典拠となりますが、その意味やつけられた理由について調べてみました!

令和で注目を集めている観光地に行ってみるのもいかがですか?
→ 万葉集ゆかりの神社はどこ?「令和」ブームの大宰府・奈良・富山!

 

「令和」の由来と意味は?

由来となったのは、現存する日本最古の和歌集である万葉集の巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文(「梅花の歌三十二首并せて序」)からの出典です。

 

「初春の月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。」

この序文から2文字をとって「令和」が新元号となりました。

その意味について、安部首相は記者会見で「人々が美しく、心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味」説明されていました。

今まで元号は中国の古典からの由来でしたが、日本の古典から由来するのは確認できる限りで初めてだそうです。

 

 

万葉集の梅花の歌三十二首序文の現代語訳は?

梅の花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

令和の由来となった梅花の歌三十二首序文現代語訳はどんなものなのでしょうか?

 

ちはや
ちはや

花を愛でる文化を持つ日本人の感性にあふれた素敵な文章ですよ!

 

原文

「初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。」

現代文

 「初春の美しい月夜、空気は澄み 風はおだやかで、梅は鏡の前で美女が白粉で装うように花を開き、蘭は身にまとったお香のように香っている」

 

春の始まりの月夜に梅や蘭が咲き誇っている中、宴が催され、「梅花の宴」と呼ばれています。

その状況を説明したこの一文だけでも華やかで美しい情景が目に浮かぶようです…!

 

 

この宴の再現も行われたそうですよ!

4月なので、背景は桜ですが、桜もきれいですよね! 

 

万葉集の梅花の歌三十二首序文の作者は?

この梅花の歌の序文の作者ですが、大伴旅人(おおとものたびと)が作者だと言われています。

 

この序文はこのように始まっています。

梅の花の歌32首と序文
天平2年1月13日、太宰府の帥老の邸宅に集まって、「梅花の宴」を開いた。

大宰府は現在の福岡県太宰府市で、当時の筑前の役所が置かれた場所ですね。

帥老はここでは当時の大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)である大伴旅人のことで、彼のお屋敷で梅を題材にした歌会が開催されました。

ちなみに、大伴旅人は万葉集を編集した大伴家持のお父さんです。

この後に「初春の令月にして~」から始まる文章でその宴がどんな状況だったか描写されていて、そのあとに宴で詠まれた梅の歌32首が続きます。

その梅の歌が読まれた背景や状況についての説明書きが序文で、ここから「令和」が採用されたんですね。

 

これを機に万葉集に関する本を読んでみるのもいいですね。

学生時代は角川版を読んでいました。ポケット版もあったんですよ!

このビギナーズクラシックは読みやすく、梅花の宴の和歌と解説は149ページから載ってます。

現代では電子版もありますよ。

 

 

漫画だと読みやすいですよね!

奈良万葉文化館でも販売されているこちらは解説もしっかり書かれています。

 

 

 

「令和」という新元号に込めた願いとは

梅と令和

 

安部首相は、記者会見で「令和」という新元号にしたことについて、

「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。

こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。

厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。

そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。」

とお話されていました。

 

梅の花は真っ先に春を告げる花です。

令和になる新しい次の時代が明るい未来になりますように!

 

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